後書き

 ずっと何かが生まれそうだった。その「何か」にどういう形を与えてあげればいいのか、長いこと考えた。他の表現形態を選ぶこともできた。音楽でも良い。絵を描くのでも良い。人と話すのでも。私はいろいろ考えた末、結局、体の中でもやもやしながら渦巻いているものを、小説という形に落とし込むことにした。書き終えて、私は自分が音楽の人間ではなく、言葉の人間なのだということを再認識した。それには、――特に自分が音楽の人間ではないことには――がっかりもしたし、やっぱりなとも思った。結局、自分の限界に挑むのに、私には言葉しかなかった。そのため、執筆過程では、なるべく自分の中での表現に対するタブーをなくし、できる限り言語化することに努めた。その際に、肉体感覚、それも特に嗅覚に着目した。この小説では、音楽にならない、映像にもできない、演劇として舞台で再現もできない、文章でしかできないような表現をすることに努めた。

 『白い珊瑚』の根底には、この十五年くらいにかけて私が抱いた、あるいは抱かざるを得なかった問題がある。最初に、短期間で七~八割を書いた。執筆作業に澱みはなかった。残りの二~三割を書きあげるのにはずいぶん時間がかかった。特にラストをどうするか、かなりぎりぎりまでoffenな状態だった。楓はこのままでは、生きながら緩やかに死へと向かって行ってしまう。しかし、助けてあげたくても、確固たる希望を語ることはできない。なぜなら、私自身が確かな希望を抱けないからだ。私にとって、ラストはバッドエンドよりもハッピーエンドの方がチャレンジングだった。それゆえ、私はより難しい方を選ぶことにした。しかし、前述のように、確固たる希望を語ることはできない。さんざん悩んだ末、自分がなんとか抱くことのできる理想の希望を描くことにした。

 

 この小説のテーマは、

性と男女の平等

正常と異常

女性間の格付け、自意識と男性からの承認

本能と五感

肉体と心の葛藤

母親からの支配

感情の代替と後から押し寄せる悲しみ

音と記憶

過去の意味の変容

場所を占める事

忘れ去られた大事な事をいかにして愛でるか

等である。そして、小説全体に通底するテーマは、「日常に潜む狂気、狂気に巣くう死の予感、狂気を引き受ける心と肉体の相克」だ。「日常に潜む狂気」に関しては、すでにスティーヴン・キングが多くの著書を出している。小説内では、悪夢が現実生活の質を低下させる話も入れたかったが、筆力が至らなかった。しかし、日常と夢の境界線が曖昧になる点に関しては、今敏の『パプリカ』がすでにやっている。この小説の特徴は主に、「心と肉体の相克」であり、それには先に述べたように、肉体感覚・嗅覚に着目して描いた。

 

 この小説で、私は文学・哲学・精神分析の融合を試みた。ここでの問題の本質は、哲学でも精神分析でも扱いきれない、本質的に文学のものだったと思う。かと言って、文学的言語だけで網羅できないところは、哲学・精神分析の力を借りた。

 小説を書きながら思考する際に、私は日本語とドイツ語両方の言語を使った。この小説は日本語だけでは成り立たないし、またドイツ語だけでも成立しない。よって、『白い珊瑚』は、日本語的思考とドイツ語的思考の融合でもある。

 文学・哲学・精神分析・日本語・ドイツ語など、様々な要素は有機的に結びつきあっている。結合の仕方は混乱、あるいは無秩序ではない。すべてはひとたび分析され、バラバラにされ、そして立体的につなぎ合わされることを目指されている。

 

 書き終えて振り返ってみると、この小説が以下の三つから強く影響を受けていたと思う。構成は映画『ローマ法王の休日』と似ていたかもしれない。『ローマ法王の休日』で、法王は神に対して祈りの言葉を持たない。彼は、神とではなく、精神科医と対話した。私も同様にして、この小説の中では徹底的に内在主義を貫いた。現実からの超越は時に人を救うが、時に、今ある苦しみを苦しみとしてひとまず認め、受け止めるという作業を割愛してしまうことにもなるからだ。

 そして、二つ目に、改めて森有正の影響が強いと感じた。デカルトパスカルの研究をしていた森有正の文章は、常に、「どんな出来事が起こったか」よりも、「その出来事を通して自分がどう変化したか」に取り組んでいる。もちろん、前者よりも後者の方が、物事を自分なりに消化しなければいけないため、書くのに時間もかかるし、よりしんどくなる。自分自身を冷徹に見つめ、身を切り刻むようにして分析しなければそこに至ることはできないからだ。私は、森有正から徹底した主体主義を学んだように思う。

 私にとって、文学的言語は、過去と現在を語るものであり、希望を予感させることはできても、希望そのものを語ることができない。哲学的言語こそ、希望を語るにふさわしいように思う。そのため、小説の終わりは哲学的概念を多用した。ちなみに、この思想は、エルンスト・ブロッホからの影響を受けている。

 

 この小説は、年齢によって、また男性か女性かによって読み方も読後感も大きく異なるはずである。私はこの小説をある種の告発のつもりで執筆した。小説に流れる問題意識を何らかの形で読者と共有できたら嬉しい。そして、小説をもとに、議論が巻き起こってほしいと切に願っている。

 小説の中のたったひとつのフレーズだけでも、あなたが必要としている言葉で表現できていたら嬉しい。そして、いま自分の感覚に支配されて苦しんでいる人たちが、その感覚は自分だけのものではなく、その辛さは外に開かれうるものだと、少しでも励まされたら幸いである。

 

著者