解題

冬凪真琴

 

 「呼ぶことは話のひとつの様態である。良心の呼び声は、現存在に、そのひとごとでない自己存在可能をめざして呼びかけ、しかも現存在をひとごとでない負い目ある存在へと呼び起こすという性格をもっている」(M・ハイデガー存在と時間』第54節)

 

 切実な語りが刻まれた文章は、読み手に対して、読み手自身が何者であるのかを問い詰める。私は日本に生きる30代の男性で、そのような属性を持って生きることに居心地の悪さを感じたことはない。しかし、現代の日本社会で男性として安穏と生きていることは、それだけで加害者であるということを『白い珊瑚』は暴露する。そして、これほどまでに痛切な声を聞かなくてはそのことに気がつけないという事態によって、私たちは改めて自らの罪深さを告知される。

 そのような私たちの日常に埋没した生の様態に言葉を与えるには、及川楓が(かろうじて)生きる中で感じたことを記述することだけでは不可能だっただろう。そこで作者は、ミュンヘンでのセラピーの部屋に楓を迎え入れ、日本での楓の日常から、地理的距離と言語的距離、そして時間的距離という3つの隔たりを設ける。

 そうすることで、小説は「過去・体験・独白」によって構成される「章」と、「現在・反省・対話」によって構成される「セラピーの部屋」を往還する構造を持つ。「章」と「セラピーの部屋」は、実体験の語りと、それへの反省による説明として、いわば陽画(ポジ)と陰画(ネガ)の関係にある。小説が始まってしばらくは、「章」の生々しい記述が物語を進行させ、「セラピーの部屋」はインタールードのような役回りを果たす。しかし、小説が進行すると、段々と「セラピーの部屋」にいる楓が存在感を放ち始める。これは決して、ポジとネガが反転するということではない。ポジティーフ(実定的=積極的)なものとネガティーフ(不在的=消極的)なものがそのままに、それら相互の新たな関係が発見されるのである。「何か(etwas)、は実体(Substanz)としてあるのではなく、存在(Sein)との関係性(Beziehung)の中でネガ像(Negativbild)のようにして浮かび上がる」と第8章で楓自身が気づくように。

 人間が時間の中に生きる以上、非存在と存在についての認識は時間の中に生きる意味をも変えることになる。現在は、過去と未来という非存在との関係の中で浮かび上がるのだ。小説は結末部に向けて、過去と現在の往還運動の振幅を小さくしていき、ついには過去が現在に追いつく。過去と現在が重なったその時、楓は未来への意志を口にする。それまで背後と足もとだけを見てきた楓が、すっと前方へと視線を上げる姿には、作者が楓に託した存在への勇気(courage to be)を認めることができる。

 しかし、加害者である私たちには、楓の勇気を娯楽の対象として楽しみ、拍手を送る資格はない。それは、私たちが圧殺しようとした生の輝きであり、私たちが罪人であることを照らし出す光である。奇しくも、『白い珊瑚』が発表された2017年には、アメリカの女性たちがセクシャルハラスメントや性的暴力の被害を訴える声を上げ、『TIME』誌は彼女たちを「今年の人」に選出した。では日本では?日本でも勇気ある女性たちが同様の声を上げたが、その訴えは讃えられるどころか、セカンドレイプに晒されているのが現状である。私たちは、今なお数多くの「楓」を生み出している。『白い珊瑚』に呼びかけられているのは、私たちである。