セラピーの部屋 その八

「あれ? そこに植物なんてありましたっけ?」

楓はセラピストの背後にある窓際の観葉植物を物珍しそうに眺めた。

「はい、以前からありましたよ。ただ、大きくはなりました。今までここにある観葉植物に気付かなかったんですね。今日は新たな気持ちでここに来たようですね」

「そうかもしれません。最近は、どうしてここまで距離的にも離れているのに、両親から強い影響を受けるのか、両親によって自分の感情が左右され、刻印付け(prägen)られてしまうのかを考えています」

「何かそれをめぐる考察(Überlegung)はありますか?」

「私の両親は、私の個人的な領域に侵入してくることが多いです。両親から自分を線引きして区別(abgrenzen)し、自分自身を守る(schützen)ことが上手にできていないと思います」

「線引きをして自身を守るというのは、このセラピーの場でも何度も出てきたテーマですね」

「そうですね」

「もしかしたら、パートナーの機嫌(Stimmung)に左右されてしまうというのも、これと関連するかもしれませんね」

「パートナーの機嫌が悪いとすごく不安になってしまうというのは、機嫌の悪さは彼のものであって、自分は関係ないという風にはなかなか思えないことに原因があります。ところで、うちの両親は、ちょっと変わっているんです。たとえば、両親は、『これとこれとこれをミュンヘンに送ろうと思うんだけど、必要ないものはある?』と聞いてきます。それに対して私は、『これとこれは要るけど、これは要らない』と答えます。すると、『じゃあ、全部送るね』と返されるんです。『じゃあ(ok denn)』の意味が全くよく分かりません」

「なるほど。なるほど、そうなのですね。あなたはそれを笑い話に変えていますが、そのエピソードの中にあなたとご両親のあらゆる関係の本質的なものが現れていますね。あなたが欲しい物、あなたが必要な物ではなくて、ご両親が送りたいものが送られてくるんですね。あなたの否定や拒否はご両親に受け入れられることがなかったのですね」

「ここ半年くらいはさすがにそういうのがなくなってきつつありますが、日本で実家を離れていた時から、ずっとそうでした。いや、ほんと、笑っちゃいます。こっちでも買えるような掃除道具なんかも送られてきていました」

「ご両親を前にして、子供(Kind)としてではなくて大人(Erwachsene)として振舞うというのは、あなたにとって居心地の悪い(unangenehm)ことですか?あなたは、大人として振舞いたいとは全く思いませんか?」

「両親に対して一人の大人として振舞えたら自分はもっと楽(angenehm)になれるんじゃないかと思います。でも、私がそうすると、両親との会話は平行線をたどって、全く噛み合わなくなります。だから、私は部分的に大人として振舞い、必ず他の部分では子供(Kind)として、単なる女の子(Mädchen)としての役割(Rolle)を果たすしかないように思います。それに、おそらく両親が変わることはないと思うんです。つまり、彼らが私をいつまで経っても子供とみなすというのは。だから、私の方がやり過ごし方を考えないといけないんです。彼らの言うことを無視したり、あまり重要なものとして扱わないということもできるはずなのに、直接話すとしばらくそれで気分の悪さを引きずってしまうことが多いのを何とかしたいです」

「両親というのは、通常は子供に対して大きな影響を与えるものですから、無視するというのは難しいことだと思います」

「ところで、さっきほんの少しパートナーとの関係が話題になりましたが、両親との関係と男性一般との関係はどこかでつながっていて、両者には因果関係があるように思うんです。男性一般との関係というのは、たとえば、特に以前は男性から触られるなどの嫌なことがあっても、やめて欲しいとすぐに言うことができませんでした。体が強張ってしまって、本当に何も言えなかったんです。まだ推測(Vermutung)しているだけの段階で、この、両親と私の間の線引きと、私と男性一般の間の線引きの二つがうまくいかないことについて、実際どのような関係があるかはっきり分かりません。ただ、なるべく嫌なことははっきり言うようにしているのですが、相変わらず男性との線引きがうまくいきません。私は両者の関係を言語化したいんです。言語化できたら、私は自分の中の問題を何らかの形で解決できるような気がします」

「あなたが今言ったことの中でとても際立つ(auffallend)のは、あなたが、たとえば『それを言語化すること(es)は難しいです』と言うのではなく、『私はそれを言語化したいんです』と、『私(ich)』を主語にした点です」

「たしかに、私の文章には、私のとても能動的(aktiv)な要素が読み取れますね」

「これまでの私たちのセラピーでの対話の中にはなかったことです。とても大きな一歩を踏み出しているのだと思いますよ。そして、言語化する(zum Ausdruck bringen)とは、問題を発見することで、今までもやもやした状態だった問題が明らかになれば、一定の答えが出たのと同じだと思います。難しいことですし、時間がかかるとは思いますが、ここまでは相手に許しても大丈夫だけれど、ここからは自分の領域に侵入しているから駄目(Nein)だというのを、ひとつずつ具体的に明白にしていけるといいですね。それにも、ひとつの訓練が要ります」

「私は、自分を他の誰かから線引きして、自分を守ることを学ば(lernen)なければなりません。そして、駄目な時にそれはやめて(Nein)くれという時のいろいろな表現の仕方も、同時に学ばなければいけないと思いました」

「こういうことを話す際に、どんな気持ちになりますか?つまり、今まで人から自分を区別して線引きしたり、さまざまな感情を知る(kennenlernen)ことができなかったことに対して、悲しい(traurig)気持ちになりますか?それとも腹が立った(wütend)りしますか?」

「普通の人が成長過程で学んできたものが自分に欠けている(fehlen)のは、悲しいです。自分にはどうすることもできませんでした。他の人は完璧(perfekt)な存在なのに対して、私はまるで部分的に壊れた機械(eine teilweisekaputte Maschine)のような気がします。悲しいですし、恥ずかしくて気まずい(peinlich)思いをしています」

「あなたは恥ずかしいと言いましたが、あなたがそう感じるということは、背後に、十分にこれらを学べなかったことに対して、自分のせい(schuldig)だという気持ちが隠されていますか?」

「はい、自分に責任(schuldig)があるように思います」

「あなたの感じる恥ずかしさ(Scham)というのは、非常によく分かりますし、共感できる(nachvollziehbar)ものです」

「私は、以前だったら、自分に何かがどうしようもなく欠けているということを、恥ずかしさのあまり認められなかったように思います。このような話を、私はあなたとしかすることができません」

「ここで話せるというのは、とても良いことだと思いますし、勇気のいることだと思います」

 

「ここでのセラピーも、あなたにとっては新しいかもしれませんね。私があなたに答えを与えることがないので、たまにあなたが焦れているなと感じることがあります。私から何かを学ぶのではなく、対話(Gespräch)をすることで一緒に答えを探していくという方法(Methode)に関しても、以前よりは慣れてきたと思いますが、これからさらに学び、そして慣れていく必要がありますね」

「はい。最初の頃はすべてが新しかったです」

「あなたは外国へ来て、日本とは違う環境に身を置いて、差異を発見(entdecken)しているところのようですね」

「はい。そして、これまで気付けなかった多くのことに気付いています。私に欠けているものは、本来あるべきもの、あるいはいつの間にか気づいたらなくなってしまっていたものです。だから、本当は自分の内側にあるはずなのに、それを忘れているかのような、あるいは誰かに奪われてしまったもののような懐かしさ(Sehnsucht)を覚えます。だから、それを取り戻し(zurückbekommrn)たいと思います。それはまるで郷愁(Heimweh)のようなものです。奪い取られたものが何なのか、それは今の私にははっきり分かりません(unklar)し、とても抽象的(abstrakt)です。ただ、懐かしさという、私と失われたものの間の関係性(Beziehung)は、非常に具体的(konkret)です。懐かしさは私がはっきり感じている(spüren)感情(Gefühl)ですし、この感情がどこへ向かっているのか、感情が示す方向(Richtung)のようなものは私にとって明らか(klar)です。何か(etwas)が失われたもののように感じるのはここが外国だからかもしれません。外国にいることで、私の存在の輪郭はより明確になり、差異(Differenz)が際立ちます。他の在り方を知ることが、自分自身の発見につながります。私は欠落しているもの(Mangel)を発見します(entdecken)。しかしこれは、無(Nichts)の発見ではありません。そうではなくて、存在していないこと(Nicht-Sein)の発見です。存在していないことこそが箱の中身なのです。存在していないこととは、存在(Sein)のネガのようなもの、存在の否定(Vernichtung des Seins)です。存在の否定には二形態あります。もはや存在しないもの(Nicht-Mehr-Sein)と未だ存在しないもの(Noch-Nicht-Sein)です。もはや存在しないものは過去への憧憬(Sehnsucht)、そして未だ存在しないものは未来への憧憬を含んでいます。存在していないこと(Nicht-Sein)とは、過去や未来への憧れです。未来は、最初から描けるものではありません。ありえた、失われた過去を投影するからこそ未来を描けます。実際の過去はかえってしがらみとなります。ありえたはずのことだと私が思っているものを、今、取り戻したいと思うのは、抗いがたい衝動(Trieb)のようなものです。動力(Triebkraft)は私の内側にあります。そして、その動力とは、私の意識的(bewusst)な学び(Lernen)です。様々な感情を知る(kennenlernen)ことも同様です。無意識(unbewusst)のうちに備えることのできなかったものは、学ぶしかありません。確実に私の人生を豊かにすることが分かっているものを手放さないことは、私の自由意志だからです」