第八章

 楓は希望通りミュンヘンに住むことになった。

 ミュンヘンから列車で、友達が個展を開くというグムンデンの陶器市を訪れた。グムンデンは、水の匂いがする街だった。トラウエン・ゼー沿いの大きな通り、シャルンシュタイナー・シュトラーセを歩き、大通りにつながる細い路地の二階に、友達と、彼女と同じリンツ大学へ通う芸大生の二人が作品を展示していた。

「絵美ちゃん、個展おめでとう!」

「どうもありがとう。今日は来てくれて本当にありがとうね」

楓は一度会場をゆっくり見渡し、それからひとつひとつの作品を丹念に見て回った。絵美の作品は大きく分けて二種類あり、素材はひとつは写真、もうひとつは磁器だった。時間がひとつの大きなテーマになっているようで、チロルの山の大きな写真は、鉱物と比べて短い時間を生きた草木の部分がやすりで削り取られており、削りかすが額縁の内側に落ちていた。磁器の作品は、円形や四角形の箱、そして梯子などいくつかの種類があった。これらはすべて真っ白く、表面はでこぼこしていて、手で触ると自分の神経に細かい目のやすりをかけられた感触がしそうな程度にざらざらしていた。箱をよく見ると、磁器の下には木でできた箱の足が顔を出していた。

「絵美ちゃん、これはどういう作品なの?」

「これはね、大事なものをしまった箱なんだ。すごく大切なものを箱にしまって、でも箱にしまったものの中身を、そして大事なものを箱にしまったこと自体を時間が経つにつれて忘れてしまって、箱の表面には苔がついてしまうの。箱は苔で全体が覆われてしまって、その中身を取り出すことはできないんだけど、ただ箱の存在だけが、かつて大事だったものを暗示しているの。梯子の作品も同じような感じで、かつて行き来していた場所、あるいは理想の場所が梯子をかけた先にあるというのを現わしているんだ。そして、梯子があるということだけが、素敵な場所がどこかにあった、そして今ももしかしたらある、ということを示している。そういう作品なの」

絵美の作品は、彼女の外側から来るさまざまな刺激の組み合わせで作ったものではなく、心の奥にある湖を波が立たなくなるまで見つめたような、とても静謐な作品だった。

 楓は、この苔の箱の作品を買うことにした。真っ白で、箱に生えた苔を磁器で模している作品は、苔というよりも珊瑚に似ていたので、楓はこれに「白い珊瑚」という名前を付けた。白い珊瑚の中に何があるのか、それに今は思いを馳せることしかできない。箱の存在だけが、今は見えなくなった何か大事だったものの存在を示している。箱というそこにある存在(Sein)が、何か(etwas)と関係している(beziehen sich auf)ことを表している。だから、何か(etwas)、は実体(Substanz)としてあるのではなく、存在(Sein)との関係性(Beziehung)の中でネガ像(Negativbild)のようにして浮かび上がるのである。