セラピーの部屋 その六

「昨日、私はすごく機嫌が悪くなったんです」

「一体どうしましたか?」

「彼が仕事帰りに女友達と一緒に飲みに出かけて、その時間がずれ込んで私とのスカイプの約束の時間に三十分くらい間に合わなかったんです。私はパソコンの前で待ちぼうけを食らいました。別に、女友達と飲みに行くくらい全然かまわないんです。ただ、私に何も言わずに飲みに行って、しかも約束の時間に遅れたこと、待たされたことに対して怒っています。SMSを一本書いてくれたら、私はその間に別のことができました。以前も似たようなことがありました。彼は、彼の誕生日の日にも、私を外で長いこと待たせました。ある日、ちょっとしたことがきっかけで、それを思い出した時私は泣いてしまいました。他にも、まだ私が日本にいた時、彼に私の親友を紹介したくて、親友は外国暮らしなので、スカイプで話す約束をしたんです。スカイプの約束を入れてから数日後に、彼は別の友達と、スカイプよりも前の時間帯に会う約束を入れました。私も一緒で三人で会いました。彼と彼の友達は盛り上がってずっとしゃべっていて、そろそろお店を出ないとスカイプの約束の時間に間に合わなくなりそうでした。私は早く家に帰りたかったのですが、彼らの会話を遮ることもできず、その後のスカイプの約束にも同じように三十分くらい遅れました」

「彼はあなたの友達に謝りましたか?」

「いいえ。彼の友達と一緒だったから遅れた、という遅刻の理由については話しましたが、謝ることはありませんでした。私は、本当に自分でもびっくりするくらい昨日はすごく気分が悪くなってしまいました。何であんなに機嫌が悪くなったのか考えているところです」

「でも、パートナーがあなたの大事にしているものを真剣(Ernst)に捉えなかったのですから、怒って当然なのではありませんか?」

「そうかもしれません。でも、機嫌が悪い自分を見つめるもう一人の自分がいて、本当に怒ることが当然なのか、どうしても考えてしまいます」

「たとえば昨日、あなたが一本連絡が欲しかったというのは、当然要求していいことだと思いますよ」

「そうですか。だったら良いのですが……。昨日、彼は私に一度だけ『ごめんね』と謝りました。でも、『あなたは私のことを待ったことがあまりないから分からないんだと思う。あなたが友達と飲んで帰るから帰宅は夜十時くらいになると言われて、実際に帰ってきたのが十一時過ぎ、十二時近くになったことも何度もある。連絡がないと、どうしても待ってしまう。でも、待つのは苦痛だ』と言ったら、今度は私が悪い、何でもっと僕のことを考えてくれないんだと言われました。私は、彼が友達と楽しく過ごしているなら邪魔してはいけないと思って連絡しませんでした。私は彼のことを十分に顧みている(berücksichtigen)つもりです。でも、彼は、取り込み中で自分の方から連絡しずらくても、私から連絡が来たら、それに対して連絡を返すことはできるんだから、それくらい気を回してくれ(berücksichtigen)ればいいのに、と言って、すごく機嫌が悪くなりました。本当は私が機嫌が悪かったのに、何だか私の機嫌が悪いのがおかしなことみたくなってしまいました」

「感情の転移(Verschiebung)が起きたんですね」

「そうなんです。物凄くもやもやします。そして、今私は怒りの代わりに悲しみを感じているような気がします。一体どうしてこうなってしまうのでしょう」

「あなたは私に答えを求めているような感じがしますが、あなたの質問に関する一般化した答えを私から返すことはできません。何か、処方箋があって、この薬を飲めば治るというものではないので、残念ですが決まった答えはないんです。怒りと関連したイメージは何か思い浮かびますか?」

「私はごくまれに機嫌が悪くなることはありますが、怒りを感じたことがほとんどありません。だから、怒りのイメージを持つというのは難しいです。ただ、何となく怒りと結びつくのは、理性的でない(unrational)こと、ヒステリックなことです」

「どちらも自分を失うことと繋がりますね」

「そうですねえ。ヒステリックにならない怒り、理性的な怒りがあることは分かっているんです。でも、私にとっては理性的な怒り、よりも、ヒステリックな怒りという繋がりの方が強いです」

「怒りの代わりに悲しみを感じると言っていましたが、怒りながら悲しむというのはどうですか?」

「ううん、そうですねえ……。そういう感情を私は知らないです。私は、自分を失うのがとても怖いんです。自分のことを全くコントロールできないというのが。本当にどうやって感情の嵐をやり過ごせばいいかわからないんです」

「あなたは今、これまで抑えていた感情、新しい感情を知っていく(kennenlernen)プロセスにいるようですね。しばらくそういう諸々の感情とどうやって付き合っていけばいいのか分からない状態が続くと思いますが、それにはどうしても時間がかかります。忍耐(Geduld)が必要になると思います。セラピーを受けていても、悪化しているように思えるカーヴが何度か来ます。人によっていつ来るかはさまざまですが、あなたのように早く来る場合もあります。ところで、あなたは怒りの感情を出してはいけないとどこかで思っているようですが、そのように思うのは何故ですか?」

「怒りの感情を出してしまうと、人は私のことを理解してくれないと思うからです」

「理解してくれないというのは、あなたが怒っているということそのものを理解してくれないということですか?それとも、何に対して怒っているかという怒りの原因や内容に関してですか?」

「両方だと思います」

「誰が、あるいは何があなたの感情をそこまで阻止しているのでしょうか?」

「二つ理由があると思います。まずは、母が小さい時から根拠なしに怒ることがあったから、私は常に理性的であろうとしていました。もう一つは、男性関係です。おかしな人がメールをたくさんよこしてきたり、あるいは直接身体的に接触してきたりしても、そういうのはすべて私に隙があって私が誘発していると言われることが多くありました。怒りたくても、そういう発言で、私の怒りは正当性(Berechtigung)がないもののようにしてそもそも問題にもされず、握りつぶされてしまうという経験をたくさんしてきました。そして、理不尽なこと、論理的に理解できないようなこと、たとえば急に誰かの機嫌が悪くなるとか、そういうことが目の前で起こると、一気に訳が分からなくなります。意味不明になって、相手に理解を求めたいという意欲が失われてしまいます」

「でも、まさにそこに問題があるのではないでしょうか?彼は、あなたがどう思っているか、特にあなたの感情について、あなたが何も言わないことで理解していないように思います。それにあなたは、怒っていいような内容について話す時も、怒りを抑えて、ちょっとおもしろい話のようにして話しますよね。にこやかですし。私が話を聞いていても、うっかり一緒になって笑ってしまいそうです。でも、中核にあるのはとても深刻な話だったりします」

「でも、どうしても私には何も言えないです。だって、感情的になっている相手が、急に理性的になることはありませんし、そもそも議論にならずに話は平行線になります。言葉という媒介によってしか理解しあえないはずなのに、その言葉が機能(Funktion)しないんです。腹は立ちますが、いま何を言っても無駄だなと思うと、もう、諦めてしまいます」

「でも、怒りを怒りとして表現するのは大事なことですよ。この場でも、やはり怒りの感情を表現すると私に理解してもらえないというように思いますか?」

「いえ、そういう風には思っていません。でも、やはり怒っていたり不機嫌なまま人に接すると、その人は驚いてしまうから、それを避けたいとは思っています」

「ここでは怒りの感情を出しても良いんですよ」

「ありがとうございます。私は、怒って当然のことに対して、当時も、そして今に至るまで怒れないままでいます。それは歪んだ、変なことだと思うのですが、でも、どうしてもそうなんです。誰かにされた不当なことに対して、嫌だと言ったり怒りをあらわにできないことは、自分自身を守れないことにつながっていたと思います」

「あなたは、あることに対して怒って良いのかどうか、それ自体に迷いがあって、どうしたらいいか分からないようにも見えます」

「確かにそうですね。ある感情を抱くことが、本当に正しいのかそうではないのか、常に考えます。この、考えるという自分の中に反省的なプロセスがあること自体が、私自身を苛々(irritieren)させることも多いです。私は感情が湧き上がった時に、それが正しい感じ方なのかどうか、正当性を求めてしまいます。例えば、ここで怒るのは正しいのかどうかと。感情(Gefühl)そのものの正当性(Berechtigung)・根拠付け(Begründung)なんてほとんどできないことだし、そもそも私(ich)と感情(Gefühl)の関係(Beziehung)も非常に曖昧で、そこまで具体性なんてありません。もやもやしたものを、そのまま見過ごすことは簡単です。そのせいで、細やかな感情を感じることができなくなったと思います」

「いろんな感情を感じ、それを表現することはまだ苦手なように見えますが、少しずつできるようになっていくと良いですね。あなたにとって感情の問題は、正当性の問題、そして安全性(Sicherheit)の確保の問題と繋がっているように思います」

「私は常に感情から距離(Abstand)を取るように努めています。それなのに、最も自分自身を守らなくてはいけない大事な瞬間に、私の心は剥き出しの状態になってしまい、そして外からの強烈な刺激にさらされてしまいます。私はコントロールを失うことに対して不安があります。それは常にいきなり来るからです。不安を感じないように、なるべく見ないようにしているのですが、それによってかえって自分自身を守れなくなっています」

「感情の波が来ることを予測して、それが来た時に備えて準備することができるようになると良いですね」

 

「まだ時間がありますが、他に何か今回のセラピーで言っておきたいことはありますか?」

「そうですねえ。私は先日、注射器をアマゾンで注文しました。自分にべったりくっついて離れてくれない言いえないもの(das Unsagbare)、忘れてしまいたいものを体の中から血と一緒に引きずり出したいんです。注射器で血を抜くという考えに取りつかれて、居ても立っても居られなくなって、それで注射器を注文しました。それは一種の強迫観念のような感じでした。本当に、他に何も考えられなくなってしまったんです。でも、注文したら、少し気分が落ち着きました」

「注射器はもう自宅に届きましたか?」

「いえ、まだです」

「届いたらどうするつもりですか?」

「分かりません。今のところは注文しただけで満足していますから」

「送り返したりはしないんですか?」

「そうですねえ。……こんなことを言うのもおかしいのですが、念のため(zur Sicherheit)、手元に置いておくと安心できる気がします。注射器はまったく安全(Sicher)なものでないのは分かってはいるのですが……」

「注射器という発想は、リストカットに比べるとだいぶ極端(extrem)なものですよね。死にたいということでしょうか?」

「いいえ。私にとって、死のイメージはそこまで具体的ではありません。首を吊ったり、電車に飛び込んだりということは考えていません。つまり、一思いに、死ぬ瞬間を特定できるような明白な死ではないんです。ただ、ゆっくりと私が死に近づく、あるいはゆっくりと死が私に近づいてくるという感じです。血を少しずつ抜くことは、死に近づく、あるいは死が近づくというイメージにぴったりなのです。

 私にとっての死は、日常生活を構成する要素の一部で、特別なことではなく、朝、珈琲を淹れる動作くらい自然なことなんです。だから、別にそんなことを考えてはいませんが、仮に自殺するとして、私はおそらく遺書を残すというような特別なことはしないように思います。それが私の死に対するイメージです」

「注射器を使いたいと思いますか?」

「うぅん……今は自分がどうしたいか、分かりません。でも別に、三十ミリリットルの血を抜いたところで、人は死ねませんし。二リットルくらいを一気に抜いたら、さすがに危ないのは分かっています」

「あなたは、すでにいろいろ調べることに従事(beschäftigen)し、時間をかけ、そして注文するという行動が可能になるくらい計画している(planen)ということですね」

「そういう風に言えるとは思います」

「次のセラピーまで、何も起こらないと約束できますか?駄目だと思ったときは、きちんと精神科の救急外来へ行くんですよ。自分で病院に連絡を取って、行くことができますか?」

「はい」

「本当に約束できますか?」

「はい」

「あなたを、今日このままここから帰してしまっても大丈夫ですか?」

「はい」

「分かりました。そうしたら、また次回お会いしましょう」