セラピーの部屋 その二

「そういえば、日本語には感情を表す単語は十分にありますか?」

「はい。まあまあ多いと思います。なので、対応する単語があまりにもなくて困るということはまずありません」

「外国語で自分の細やかな気持ちについて話すのは、大変ではないですか?」

「確かに、外国語で自分の考えをまとめるのは大変ですが、日本語であってもまだ言語化できていないことはたくさんあって、それを伝えるのはそれなりに大変なことなので、感じたことや考えたことを表現するという点では、そう変わらないです。それに、私は日本語で話せなかったことを、いま外国語で話している気がします。外国語で話す方が、いろんな出来事から距離(Distanz)を取れるし、かえって外国語という媒介(Vermittlung)を経て話す方が話の内容によっては楽なんです」

「なるほど。時間的に、日本であった色々な出来事から離れ、距離的にも今は日本から離れていますものね。あなたには隔たり(Abstand)が必要なんですね」

「そうです。ただ、他の問題もあって。私は日本語でも、一度、言葉と意味をうまく結び付けられなくなって、人が話すことを理解できなくなったことがあるんです。数年かけて、日本語ではその問題を解決しました。もう、文章とか、誰かが話していることの意味が分からなくて焦ることはなくなりました。でも、外国語だと、またゼロからその作業をしなくてはいけないみたいで。たどたどしく外国語を話す人の中はたぶん二種類いて、単語単語やフレーズは流暢に話せて、文章が区切れるところでつっかえる人がいるじゃないですか。でも、私の場合は単語としての意味がすっと入ってこないので、ひとつの単語やひとつのフレーズの中でブツブツ途切れてしまうんです。特に、緊張していると、すぐに言葉がするっと出てこなくなってしまいます。この前も、病院の予約をする時に、曜日がうまく言えませんでした。本当に、簡単な単語とか固有名詞とか地名なんかが急に出なくなっちゃうんです。そういう時はすごく焦って、余計に言葉が出てこなくなります」

「他に日常生活で大変なことや困ることというのはありますか?」

「困るというか、すごく辛いと思っていることなんですが、今まで普通にできたことができなくなったことに焦りと絶望感を覚えます。たとえば、以前は一日中きちんと活動できていたのですが、体調によっては会社の休み時間に軽くうたた寝をしないと体が持たなくなってしまって、土日は必ず昼寝をしないと生活ができなくなってしまいました。それと、今までは晩酌が好きでよく一人でも楽しく飲んでいたのですが、飲んでしばらくすると号泣の発作みたいなものが起きて、自分で自分をコントロールできなくなってしまうんです。今まで楽しくできたことができなくなって、無力感に襲われます。普段は、自分で言うのもおかしいのですが、そこそこ理知的に考えられるし、そういう風にしようと努めてもいるのですが、号泣の発作が起きた時は、本当に自分を止められなくなって、それがずっと続くかもしれないと思うと、もう辛くて絶望的な気持ちになるんです。でも、そういう発作が起こるようになったのもセラピーを受け始めてからのことで、最近やっと自分の気持ちを少しずつ感じられるようになってきたんです。以前は泣きそうになると、自分の左胸を手でバンバン叩きながら、頑張れ、頑張れ、ってやって泣かないようにしていました。自分のことさえコントロールできないという非力さで一杯になります。それに……」

「それに?」

「母親は私が小学生の頃から更年期障害と鬱にかかっていました。当時は更年期という言葉も広まっていなくて、病院へ行って薬を飲み始めたのは私がようやく中学生になってからでした。小学校から帰ってくると、リビングは真っ暗で、テレビだけついていて、ブラウン管が不気味に光っていました。母は三、四日は平気でお風呂に入らず、ホームレスと同じ匂いがしました。私が、さすがに今日はお風呂に入ってよ、と言ってようやく入ってくれましたが。あと、リビングにある食卓の椅子でよく寝ていたんです。太ってもいましたし、口を開けて寝ている姿はとても醜かったです。木の椅子の背もたれの右の部分に、寝ている間ずっと体重がかかっていたみたいで、背もたれと座るところの嚙み合っていた部分にだんだん亀裂ができてきて、背もたれがグラグラしていました。母の姿を見ると吐きそうでした。それも、ベッドで寝てよ、って言うのは私でした。さっき、昼寝をしないと体が持たないと言いましたが、昼寝をしてしまうことに対して物凄い葛藤があって。私の母は酷い鬱で、丸一日ずっと寝ていたんです。当時は私も幼くて鬱とかそういうのは理解できていなかったので、ただだらだらと怠けていると思っていました。昼寝をしたくなるとどうしてもそれを思い出してしまい、自分は怠けているんじゃないか、本当にいま必要な休憩なのか、すごく考えてしまうし、自己嫌悪に陥るんです」

「あなたが小さかった時、お父さんはどうされていましたか?」

「仕事で忙しくて、あまり母の面倒は見ていなかったと思います。そもそも、あまり何かを感じたりする人ではないんです。何をどう感じて、そこから何を考えるかがその人の個性(Charakter)だと私は思うんですが、あまりそういうのはない人なんです。だから、私は母のことはネガティヴではあってもいろいろ描けるのですが、父のイメージは、例えばあれが好きだとか、こういう時にこう感じてこう考えた、とか、そういうことが全然描けないんです。良い人なのは確かなんですが、まるで空っぽ(leer)なんです。好きな食べ物さえないんです。食事を楽しむという意識が全くなくて、ご飯で栄養を取れればそれで良い、お通じが良くなる食べ物ならいくらでも食べる、というような感じです。もちろん食事に合わせてお酒を楽しむなんてことはなかったです。お酒にあうグラスなんて、家にはありませんでした。とにかく、無機質な感じだったんです。食事の時間が。最近ようやく少し変わってきて、父も六十を過ぎてから美味しく楽しく食べる事を覚え始めているようですが、私にとって栄養素を摂取するだけの食事という期間は長すぎたように思います。父は私の勉強以外の時間は、無駄だと思っていたような気がします」

「小さい時に、子供がやること以上のいろんなことをしなくてはいけなかったんですね。親に対する責任も、あなたにかかっていた訳ですね」

「そうだったんだと思います。母は、急に泣いたり、急にヒステリックになったりしていました。幼かった私はヒステリーを全く予測できなくて、常にびくびくしていました。一応、私がいないところでではあったんですが、私が自分の部屋にいる時に、ストレスが溜まるとリビングでお皿を思いっきり床に投げつけて割ったりしていたんです。私は自分の部屋で息をひそめていました。今でも大きな音に驚きやすいです。不思議なことに、母が繰り返しヒステリックになったこと、母がヒステリックになって同じようなことを繰り返して言っていたのは覚えているんです。でも、肝心な、母がその時に何を言っていたのかは全然覚えていません。忘れたいのかもしれません。父も母も、私に何かあると、すぐに頭に血が上って、冷静ではありませんでした。例えば、何か私物を盗まれたりとか、そういう時です。家族の中で一番冷静なのは、小学生の時からすでに私だったように思います。その頃から、すでに私は理性的になろうと努めていました。そして、母のことがあり、人の気分が良いか悪いかに関しては未だに敏感です。家族はいつもどこかギスギスしていて、私も小学校の高学年の頃からずっと、常に苛立っていました。家で機嫌よく過ごせた日なんてほとんど思い出せません。家がそんな状態なので、私は小学生の頃から数えるほどしか、ほんの何回かしか友達を家に呼ぶことができませんでした。人が外から入って来ない、閉ざされた家というのは、とても暗いものです。部屋も、人が来ないのでいつまで経っても片付きませんし、そもそも母は片付けをするほど元気になることはありませんでした。シンクには、常に洗っていない食器が山のように積まれていました。何年かに一回、誰かが遊びに来てくれた後、部屋に爽やかな風が流れるような感じがするんです。でも、それもしばらくすると終わってしまい、再び空気が淀んでいくのが分かりました」

楓は頭の中で文法の規則にのっとって文章を組み立て、ゆっくりと話した。しかし、同時に左手中指の外側のささくれを神経質そうに弄っていた。

「そういえばこの間、セラピーの夢を見ました。こういう部屋の中にセラピストと二人でいて、でもセラピストはあなたではなくて男性でした。彼は、彼が私に接近した時にどういう反応をするか実験すると言いました。私は試してみてもいいと答えました。すると、彼は急に顔を私にぐっと近づけてきました。二十センチくらいでしょうか。大丈夫だと思っていたのに、私は目をつぶってしまい、呼吸ができず、声を出すこともできませんでした。何が起きているかとっさに分からなかったです。頭の中が真っ白になって、拒否したいのにうまく拒否できないような状況でした。恐怖心で一杯になり、相手のことを見られなくなりました。ただ固く目を閉じたまま首を左右に振って、もうやめて欲しいという意思表示をするので精一杯でした」

「セラピーの場で、自分の感情のことを話さないといけないので、その刺激が強すぎて、無意識のうちにもあなたの中でいろんなことが起こっていると思います。夢を見るというのもそうです。夢の中でセラピストが物理的なパーソナル領域に急に入ってきたと言っていましたが、セラピーで話す内容がハードになっていませんか?」

「セラピーが負担だというのは考えたことがなかったです」

「そういうところにも気を付けながら、無理しないようにやって行こうと思います」